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2013年2月15日 (金)

柔道の体罰問題について

このことに触れるかどうかでだいぶ悩みましたが、自分の考えをまとめるという意味で、ここに綴りたいと思います。

指導者としてこの問題には、自分自身色々な思いがあります。

自分が小学生の頃から、この『体罰』という言葉はよく聞いていました。

しかし、今こうしてこの問題が起こってしまっているというのは、この問題の難しさがあるのだと思います。

まず、スポーツにおいて体罰というのは、必要の無いものでましてやそれが暴力行為を伴う事は絶対あってはならないと思います。

スポーツはもともと遊びの要素を多く含み、競争を楽しみながら肉体的な向上を図り健康な社会を生み出すものと位置づけられています。その競技の技術習得のための暴力体罰というものには、自分は必要性を見出す事はできません。

しかし、実際柔道指導してきて、そのような行為を一切したことが無いか?ときかれると答えは残念ながらNOですthink

柔道の練習中、ふざけていたり、危険な行為を行った場合、自分は厳しく指導します。それこそ手を上げた経験もあります。決して叩くという行為を肯定したいというわけではないですが、その瞬間にしか伝えられないこともあるし、その事の重大さを伝える手段として自分はこのような選択をしました。もちろんこれが正しい選択だとは思いませんしこのような行為を行った事は自分の指導力の無さがさせてしまったことですが、危険性、そして痛みを知ってもらう目的でそのときは信念を持って手をあげました。

柔道というものの特性として、厳しい練習が付きまといます。もともとは殺し合いの技術から生まれた柔道。その技術から危険な要素を排除して行き今の柔道となりました。

とはいえ、首を絞めたり、関節をとったりと大変危険な行為を行います。

なので、ふざけて柔道の技をかけたり、遊び半分で練習に参加する、集中力の無い練習をする行為に対して、厳しい対応が必要だと思っています。

自分は川口道場で指導する際、特に幼年や低学年なんかは3回ルールというやり方でを採用しております。2回までは、口頭注意。でも、3回目は本気で叱るようにしています。これは事前に子供達と話をしている申し合わせ事項で、叱るときは低学年でも容赦なく叱ります。そうする事で、子供達も何故叱られているのかということがわかりやすくなると思っています。

小さいうちからそんなに叱らなくても・・・・という意見を良く耳にしますが、こういうことって小さいうちにしっかり教えておかないと、ダメだと思っています。

ここまでの話だと、柔道は危険性を含んでいるし、指導は小さい子にも容赦ない厳しいもので、マイナスイメージが強いと感じる方が多いかもしれないので柔道で学ぶ事が出来る事を考えてみたいと思います。

柔道で学ぶ事はたくさんあり、目的として、『世の中の役に立つ人格を身につける』という目的があります。そのなかで向上心、克己心、挑戦心を身につけ、練習を通じて、協調性を高めるため、礼法を大事にして調和を学ぶ事ができます。

また肉体的に色々と学ぶ事もできます。

今の世の中は、小さいときから危険な行為に対して過敏な反応を見せています。なので極力危険を排除した環境で育っていくため、痛みというものに遭遇せずに育っていく可能性があります。さらに、ゲームやテレビ、ネットなどの普及で、暴力的なシーンを目にすることで、人の痛みを知らぬまま、暴力行為だけを見て育って行き成長期を迎えて大きな力を手に入れたときに相手を傷つけるような行為を行ってしまい大きな事故、事件につながってしまう可能性があります。

柔道には、体と体でぶつかり合う競技ですので、痛みを伴います。痛みを感じることで、力の『加減』を学ぶ事にも通じており、そして、人の痛みを身を持って学ぶ事のできるものであるとも思います。

さらに、それは肉体的に学ぶ事だけでなく、精神的にも同じように学ぶ事ができると思います。

柔道の指導は、まず受身の練習から始まります。柔道で受身を取るという事は、競技的には負けを意味します。柔道を習うとまず、負けることから教わります。競技の中でまず最初に負け方を習うという競技はほかには無いと思います。始めてすぐ負けることを覚えるという事は苦痛であるかもしれません。でもそのことを知る事で精神的な痛みについても学ぶ事ができます。

しかし、柔道ではそこからどうするか?という事を教えます。受身をしたらそこからの立ち上がり方を学ぶところだと思っています。

そこが、嘉納先生が口癖のようにおっしゃっていたという『なにくそ』の精神だと思いますし、柔道で学ぶ大切な要素のひとつだと思っています。こういう経験を繰り返す事で、人の心と体の痛みを知る事ができ、その痛さを知っているからこそ『思いやり』を身につけることが出来るのではないかと思っています。

ここで、今回の騒動をニュース等で見ていて、自分が危惧する事があります。

それは、『体罰の受け取り方』という事です。

体罰とは、『教育的な名目を持って、肉体的・精神的な苦痛を与える行為又は罰』とあります。

肉体的・精神的な苦痛・・・・

上に書いてあるように柔道ってこういう要素を多く含んでいると思います。

そこを乗り越えることで成長をするという部分が柔道で学ぶ事だと思います。ですが、今のこの世の中の騒ぎ具合を見ていると、ちょっとでも苦痛な事があればそこを乗り越えず逃げ出してしまいそうな環境が整いつつあるようにも感じます。

ようは、受け取り方の違いなんですよね。

自分が学生の頃、厳しい先輩に言われた言葉があります。

『被害者面するな!!』

学生の1年生の頃は、本当にカルチャーショックでした。厳しい環境、つらい練習、上手くいかない苛立ち、いろんな感情が入り混じっていました。

自分が被害者のようにマイナス思考で物事に取り組んでいたとき、先輩が言って下さった一言でした。そのときも厳しい指導を受けましたが、この厳しい指導の後から、考え方が少し変わってきました。つらいと思う出来事に自分なりの目標(ゲーム性のある簡単な目標)を持ち、取り組むような前向きな行動が取れるようになりました。自分がかわいそうと思わず、自分に足りない部分を少しでも補っていくように目標を立て行動していけるようになっていきました。

この厳しい環境で過ごした3年間というのが自分の自信にもなっていますしこの苦痛を乗り越えたおかげでいろんな人に感謝する心を学んだと思っています。

あの時すべての出来事を被害者意識を持って受け取って行動していたら、今は無かったかもしれません。

このような考え方を教えることも大事だと思いますし、だから保護者の方が、厳しい柔道を子供に習わすのだと思います。

でも今の状況では・・・・・つらい事を子供達が『体罰』を盾にして逃げ出すのではないかと感じてしまいます。

Dsc_0249 そういう心配もあり、前回の合宿の際、川口道場の子供達に『体罰』について聞いてみました。

『川口道場で体罰があるか?』

の自分の問いに、みんな一斉に手を挙げます(マホなんか一歩前に出て元気良く手を挙げていましたcoldsweats01

次に、『それじゃあ、これって必要?』

って聞いたとき、みんなは声をそろえて『必要』と応えました。

何故か?と聞くと『愛の鞭だから』、『つらいときに頑張れるから』、『自分が悪いから』、『気持ちが折れているから、気合を入れてもらえるから』

などという答えが返ってきました。みんなが手を挙げたときは一瞬ドキっとしましたが、子供達は自分達の思いを、暴力として受け取らず、愛の鞭として受け取ってくれていたようです。

でも、この今の形が正しいという事ではないと思います。もっと伝える指導力があればこういう行為が無くても子供達を正しく導く事ができるわけで、子供達が『体罰が必要』という認識を持つという事自体なくなっていかなくてはいけないと思います。

我々指導者は、暴力により恐怖で支配するという指導ではなく、子供達との信頼関係により言葉で導ける指導を目指し、子供達は、つらい事厳しいことに対して、被害者意識を持って受け取る事のないよう、『なにくそっ』という強い気持ちを育ていってもらいたいです。

全然、まとめられておらず、何が言いたいのかイマイチわからない内容となってしまいましたが、自分が感じた今回の問題についてものすごくわかりやすくまとめてくださっているコラムを紹介してくださったブログがあるのでこちらでも紹介させていただきます。

その内容はこちら

自分が言いたかった事は、こういうことです。う~んまとめるって難しい・・・

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日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

自分が今注目している事実。顧問・指導者の体罰を、なぜ同じ体罰なのに、生徒達によって受け取り方が違うのでしょうか。

親も同様に、しつけか虐待か?しばしば問題になります。自分は父親に厳しく育てられましたが、叩かれたり殴られた記憶は残念ながらありません。理不尽な親だなぁという記憶しか残ってません。でも、ただ一度だけ小学生の頃、母親にケツを叩かれたことがあり、それは今でも覚えてます。たかがケツを叩かれただけなのに。叩いた母親の方が悲痛な顔してました。人を叩けない優しい母が叩いてくれた。感謝してます。

そういうことなのかなぁと今は思ってます。確かに体罰や暴力が、選手の競技レベルを上げるなんて、これっぽっちも思いません。何の役にも立たないと思います。でも、指導者と選手の信頼関係、距離を近づける手段にはなり得るように思います。使う側の意識と受ける側の受け取り方さえ良好なら。

自分は体罰を否定も肯定もできませんが、愛情と情熱を持って子供たちと向き合ってくれる丸岡の先生方だからこそ、我が子らは叩いて下さいと伝えてます。叩かれることでしか学べないことがあると経験してるからですし、我が子らにはそれが伝わると信じているからです。

投稿: 柔道3兄妹の父、裕 | 2013年2月16日 (土) 23時19分

リンク先の記事にある
>社会に出れば思い通りにならないことはたくさんある。そのための予行演習をスポーツでやっておく。

という意見と、先生のおっしゃる

>スポーツはもともと遊びの要素を多く含み、競争を楽しみながら肉体的な向上を図り健康な社会を生み出すものと位置づけられています。
>その競技の技術習得のための暴力体罰というものには、自分は必要性を見出す事はできません。

という意見は、どちらも正しいと思いますが、両立するのは難しいとも思いました。技術の習得には、根性や暴力より、論理の方が大切ですよね。思い通りにならないことや理不尽さとは対極にあるものだと思います。

どうせ柔道をするのなら楽しくやれる方がいいと僕は思いました。
理不尽さに耐える予行演習も、確かに子供のうちからやっておく必要があると思います。ですが柔道以外の機会でも、それは学べると思うんです。

例えば学校でも、大して勉強してないのに成績が良い子の存在とか、不必要に怒る先生とか、理不尽さに直面することはあると思います。理不尽さへの耐性は、そういう場面で身につければ、柔道に理不尽さを求める必要は無くなりますよね。

もうひとつリンク先からの引用なのですが、
>スポーツに、スポーツ以上の意味と効能を求めている時点で、日本のスポーツは体罰の芽を内包しているのである。

とありますが、柔道にスポーツ以上の意味を求めるならば、それは根性とかではなく、礼法や相手を思いやる気持ちであってほしいです。たとえ柔道を通じて不条理に耐えることを学んだとしても、きっとその過程はいい思い出にはならないと思います。

それと、体罰や暴力による指導を受けたほうが、強くはなるのではとも思いました。柔道が楽しくなくとも、ただ辛いだけであっても、なお柔道にしがみつける選手の根性と執着心は、健全な指導の中では生まれないと思います。

それが良いことなのかどうかはさておきですが・・・

投稿: をくの | 2013年2月17日 (日) 23時39分

昨日はお疲れ様でした!

少しですがお話しできて良かったです!

では本題に。

この体罰問題について、自分の言葉でブログアップした先生を尊敬します。

自分も思うところが沢山あります。

が自分の言葉ではなく、人の言葉を借りてしまいました。

これを良いきっかけにして柔道がより良い道に…。

柔道の本質を今一度見直すきっかけになることを祈っています!

昨日も、ある道場の先生と熱く語りました!

誰か想像出来るでしょうね♪(笑)

投稿: カニーマン | 2013年2月18日 (月) 11時07分

裕さんコメントありがとうございます。
子供達の受け取り方・・・・これってやっぱり信頼関係だと思います。
子供が『自分のためにおこってくれているのだ』と感じたときは素直に受け取る事ができるのでしょうけど、『納得いかない!』と思っているときには、相手の思いと逆に受け取ってしまう事もあるでしょう。
しっかりとした信頼関係を築く事が大事なんでしょうね。
そういう意味では丸岡さんはしっかりと信頼関係を築けていますし、指導者の先生方の熱い気持ちも伝わってくるのでとても勉強になります。
また、これからも勉強させていただきます。

P.S 昨日は、お誘いいただいたにもかかわらず参加できずすみませんでした。また次回よろしくお願い致します。

投稿: 赤ペン先生 | 2013年2月18日 (月) 17時30分

をくのくんコメントありがとうございます。
まず最初の、両立が難しいとの事、ここにスポーツと武道の違いがあると思います。柔道はオリンピック競技になったことからスポーツに近づく道を選んだと思います。
しかしこの部分は柔道の創始者嘉納先生の思いとは違いました。先生は柔道がオリンピック競技になる事を望んではいませんでした。きっとこの違いがあったからだと自分は思います。
今の柔道は、オリンピック競技として残り続けるため、様々なルール改正や、ランキング制度を取り入れたりと本来の目的以上のことを求めるようになっているように思います。
そのしわ寄せが今回このような形となってしまったとも感じています。

次に、理不尽への耐性と柔道の楽しさですが、実は、この部分が自分の少年柔道のテーマでもあります。
自分は柔道というものを子供達に楽しんでもらいたいです。でも楽しいの定義って言うのがあるとおもいますが、柔道で何を楽しむのか?という定義で一番に上がってくるのが、勝つことだと思います。でもそこだけを求めれば、弱いものいじめをするようなことで楽しめます。自分より弱い子を捕まえて、気持ちよく投げ続ける・・・でも、自分が柔道をしていてどういうときが楽しいか?と考えたとき、強いものへ挑戦すると言う楽しみがあります。
強い人と練習すると、自分の余計な考えが無くなり、一瞬一瞬に集中した練習が出来ます。その感覚みたいなものが楽しかったりするので、この部分をいかに子供達に伝える事ができるか。というのが自分の少年指導のテーマです。
簡単に言えば出来ない事をできるようにする楽しさ!!子供達には柔道を通じ、こういう挑戦心を育て、逆境にも強くなる心を育てて行きたいと思っています。
柔道って、ものすごく単純にこういうことを感じることが出来ると思っています。これが出来れば不条理な経験も良い思い出(それを乗り越えた自信)と変換できると思っています。

最後に、>体罰や暴力による指導を受けたほうが、強くはなるのではとも思いました
これは、短期的な強化を狙うならきっとあると思います。でもそこで考える能力が備わるかでその後が変わってきます。暴力的な指導は、そこから逃れようとする力により飛躍的に効果を示す事がありますが、ある一定のレベルまで来ると壁を乗り越えれないことが多いと思います。壁を乗り越えるには一方的な押し付けの指導ではなく、選手本人の向上心であり、克己心が必要だと思います。
こういうふうな柔道であることを願いこれからも指導をして行きたいと思います。

長々と、すみません。貴重なご意見ありがとうございました。

投稿: 赤ペン先生 | 2013年2月18日 (月) 18時03分

カニーマン先生コメントありがとうございます。
また昨日はお疲れ様でした。
今回の事は、自分自身いち指導者として色々な思いがありそれをまとめるつもりで書かせていただきました。
うまくまとめられていませんが・・・・・coldsweats01
なので、先生のブログをご紹介させていただきました。勝手にすみません。
このきっかけを活かすも殺すもこれからの指導次第だと思います。
我々指導者も今まで以上に勉強し、柔道本来の教えを普及させたいですね。

投稿: 赤ペン先生 | 2013年2月18日 (月) 18時23分

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